「フラは心のことばであり、すなわちハワイ人のこころの鼓動である。」という、ハワイ王国最後の王カラーカウアの有名な言葉がありますが、ことばや文化にはそれぞれの民族の歴史や誇りが込められています。ハワイの地名の多くは、ハワ
イ語に由来するものだということをご存知ですか。「ことば」は文化であり、ことばを理解することがすなわち、文化を理解することと言えるでしょう。たとえば、ハワイ文化を代表するフラにおいても、ことばなくしてフラという芸術文化は成立しない、と言われるように、ハワイ語とは切っても切れない関係にあるのです。ハワイ語を通じてハワイ文化への理解をより一層深め、今までとは違った視点でハワイを再発見してみませんか。
ハワイ大学でハワイ語を学んだ講師によるハワイ語のレッスンを提供しています。
フラやハワイアン音楽を通じてハワイ語に触れる機会があっても、ハワイ語は難しいと感じている方や、
ハワイ語をより深く理解したい方など、ハワイ語の習得に興味をお持ちの方、
まずはお気軽にお問い合わせください。
フラ教室やスタジオ、またはカルチャーセンター等への出張講座を中心にレッスンを行っています。
2~4名までのセミ・プライベートレッスンや5名以上のグループレッスンが基本ですが、
その他のクラス形態についてもご相談に応じています。
ハワイ語体験レッスン・ワークショップ等も行っております。
Moanike'ala 木村由香 (モアニケアラ きむらゆか)
カピオラニコミュニティカレッジ、
ハワイ大学インド太平洋言語文学部ハワイ語学科を卒業後、
同大学院言語学部にて修士号を取得。
この言葉は、私がハワイ大学を卒業する時、ハワイ語の恩師に頂いたもので、私のモットーとしています。「学びによって(知識の)花開く」という意味なのですが、その「花」とは、ハワイの火山から溶岩が流れ、やがて地面が固まった後に一番最初に力強く木を生やし、そして花を付けるレフアを指しています。こんな私的な表現に出会うのも、ハワイ語をひもとく楽しさのひとつです。ハワイ語を知り、そしてハワイ文化への理解をより一層深めてみませんか?
1988年 | 短期留学で初めてハワイを訪れ、ハワイ語の存在を知る。 |
1993年 | 知人のハワイアンの女性に「ハワイ語は廃れつつある。あなたにはハワイ語を勉強して欲しい。」と、「ハワイ語辞書」を含め、Mary Kawena Pūku‘i著の本を何冊か薦められる。 |
1994年 | ハワイに移住し、ハワイ語の勉強を兼ねてフラを学び始める。 |
1995年 | カピオラニコミュニティカレッジ入学、本格的にハワイ語の勉強を始める。 |
1997年 | The Bess Press 社より出版の「Illustrated Hawaiian Dictionary」の編纂に携わる。 |
1998年 | カピオラニコミュニティカレッジ卒業後、ハワイ大学に編入しハワイ語を専攻する。第2外国語としてタヒチ語を学ぶ。 ハワイ語以外にも、「ハワイの音楽文化」やフラのクラスを受講する。 |
2000年 | ハワイ大学卒業。同大学院にて言語学を専攻。 大学院に在学中、プアケア・ノーゲルマイヤー氏の「Mele(歌)」のクラスを受講。 ハワイ語ラジオプログラム「Ka Leo Hawai‘i」にゲスト出演。 ファルセットコンテスト日本人優勝者のCDレコーディングの際、発音指導の通訳を努める。 |
2002年 | ポニーキャニオン社よりリリースされたコンパイレーション CD「Hula Heaven」のハワイ語の歌詞を対訳。 |
2003年 | ハワイ大学大学院 修士課程終了。 King Kamehameha Hula Competition 出場。 |
2004年 | 語学研修のためフランス領ポリネシア(タヒチ)に3ヶ月滞在。 滞在中は現地のタヒチアン達と生活を共にし、生きたことばや生活習慣を学ぶ貴重な体験をする。 また、ニュージーランドから訪れたマオリ族の文化継承者と現地タヒチ人との通訳を務める。タヒチ滞在後、以前から興味のあったマオリ族文化やマオリ語に触れるべく、ニュージーランドを訪れる。 |
2005年 | 帰国。 小学館出版「いっそイラストハワイ単語帳」のハワイ語を校閲する。 |
2007年 | 大阪を中心にハワイ語講座の講師として、 日本での正しいハワイ語の普及のために活動を開始。 |
2009年 | 著書「はじめてのハワイ語」が小学館より出版。 King Kamehameha Hula Competition 第11回日本大会に出場。 ワヒネカヒコ部門・ワヒネアウアナ部門ともに優勝(クプナ部門も優勝)。 |